アワのウズ





ウズを渡ればウズのクニ

天地渦巻く真ん中に立つ

願いは叶う
アとワの渦よ常しへに巻け

願いは叶う
海よ天地よ常しへに巻け

パステルにて。
これは阿波に行く前日描いたものです。

お天気は大荒れ。
しかも、竜巻注意報まで。。。



2010年10月




阿波への路「淡路島」は国産みの神話で有名で、
「伊弉諾尊」(イザナギノミコト)・「伊弉冉尊」(イザナミノミコト)が日本列島で最初に創造した国土だと言います。
その中でも「おのころ島」と呼ばれた「沼島」は一番最初に作られた島で、矛の先から落ちた雫が固まって島となりました。
島にある「自凝神社」オノゴロジンジャには伊弉諾尊と伊弉冉尊が祀られています。



黒潮に乗って南から航行してくると紀伊半島が見えてきます。
そして紀伊水道へ舵を切り進行すると一番最初に辿り着くのが沼島です。

古い時代、外から日本に入ってきた人々は初めは一旦沼島へ上陸し淡路島を観察しながら様子を伺い、
その後淡路島へ上陸を果たし、阿波へと渡っていったと考えています。

洲本には彼らが上陸した場所の岩にヘブライ語で文字が刻まれており、洲本からはヘブライの遺跡が出ています。
また淡路・阿波近辺のヘブライ系の遺跡は他の場所よりその特徴が色濃く、
例えば白人神社などで見られる磐境神明神社は完全にヘブライ系の神殿遺跡だと思うのです。

そして渡来してきた人々は阿波で原住民である縄文人とある程度融合し、
奈良における大和王権以前に阿波を中心として一つの都市的なものを築いていたであろうと思っています。

そのように推測するのは、阿波には古事記に出てくる名だたる古い神社が全て存在し、
古墳時代よりも古い時代から前方後円墳が築造されており、
最も古いとされる水銀朱遺跡も阿波にあるからです。

加えて海人族の阿曇浜子により形成された水軍と神武東征の際の関わり合いを考えると、
初期の天皇家との繋がりは深いのではとも思います。


長い期間を経て瀬戸内を渡ってきた神武天皇は、荒々しい鳴門のウズを目の当たりにして驚き、どう乗り切ろうかと悩みます。
その時、頭を抱える神武天皇の前に巨大な亀の背に乗って杖を振り回しながら現れたのが「珍彦」(ウズヒコ)です。
神武天皇は珍彦に「私に仕えないか?」と聞くと「お仕えいたします」と答えました。
そして珍彦は神武天皇の船路を先導し、激しく渦巻く海の難所を見事に渡ることができました。

この珍彦は当時の阿曇海人族の長的な人物でなかろうかと想像しております。


今では鳴門海峡や明石海峡には橋が架かっていますが、
古い時代の人々はこのウズの上を航行し行き来していたのでしょう。



淡路島は天下第一の名香と謳われる香木「蘭奢待」(らんじゃたい)が流れ着いた場所とも考えられています。



※この文章は諸説ある内容です※







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