プラマーナ





知識には直接知覚(現量)と推論論証(比量)の2つの手段しかない

「プラマーナ」が「量」
「サムッチャヤ」が「集」

合わせて「集量論」



蜘蛛の巣を張る時の蜘蛛の気持ちになってみた
蜘蛛にとって必要不可欠なもの
天啓と情熱と直感なんじゃないかと
理屈も結果も一致するのは後



2019年4月




徳島県勝浦郡にある「星の岩屋」へ訪れました時に見ました、とても美しい螺旋を描く小さな小さな蜘蛛の巣。

その後訪れました徳島県美馬郡つるぎ町の白山神社。
白山信仰の中心に据えられている「菊理媛神」(ククリヒメノカミ)、今の私にはまだ謎が深過ぎてまだ全く解き切れていない御祭神です。

境内に鎮座する樅の巨木は樹高47m、推定樹齢は300年以上を数えます。
唯々静かな山中の小さな神社、苔むした石組みの祠、境内に漂うククリヒメ的エネルギー。
溶け込むようにその空気と一体化し、佇んだ時の無次元感。



と、さっき星の岩屋で見た蜘蛛の巣。
絵に描くとこうなりました。


真っすぐに真実を見、真実を知りたい。


知りたいと言うより解きたい
解くために描きたい



プラマーナ



天啓と情熱と直感
理屈も結果も一致するのは後


菊理媛神の謎すぎる真実を解きたいと思う欲求が付けたタイトルだと思います。



参考文献
・Wikipedia 「集量論」最終更新 2018/1/21 16:02








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