旅の渦たち





10年くらい前、壱岐の島へ行きました時のこと。
海に面したなにやらおもぶき深い神社にて手水をしようとしてびっくり仰天。
手水鉢が恐ろしくでっかい(1メートル2、30センチはあったはず・・)シャコ貝でした。

これなら中からヴィーナスがいきなり出てきても驚かないなぁ・・・などと、
初めて見た巨大な貝がらを前にして呆然と立ち竦みながらも妙に納得した次第です。

「水」という字のもとらしいスイジ貝も、南西の海にしか生息しません。
三角柱型の貝の名はサラサバティ、意味深な名前のこの貝は和歌山串本の海岸で拾いました。
きっと黒潮に乗ってたどりついたのでしょう。

美しいウズをもつもの達が渦の中で旅をする・・・。
今、庭に咲いた可憐な紫蘭がなんとなく日本にたどりついて名を変えた女神に似ている気がして貝の舟に乗せました。



2010年4月




壹岐國二之宮 聖母宮(しょうもぐう)

【旧号】
香椎大明神 聖母大菩薩

【鎮座地】
長崎県壱岐郡勝本町勝本浦正村

【式内】
手長比売神社
中津神社

【御祭神】
息長足姫尊(神功皇后)
足仲彦尊(仲哀天皇)
誉田別尊(応神天皇)
住吉大神

【配祀】
天照大神

【御神紋】
三つ星



聖母宮は壱岐島のほぼ北端、勝本町に鎮座する神社です。
5世紀仲哀天皇の頃、神功皇后が三韓征伐の折にこの地で風待ちをした時、
追い風となる順風が吹きここを風本(かざもと)と名付けました。
その時に建てられた行宮を起源とし、その後養老元年(717年)国家鎮護が祈願されて社殿が建てられこれを神社の創建としています。

そして皇后は征伐に成功し、凱旋時に勝利を記念して風本を勝本に改めました。
この古事からから勝負の神として知られます。

また皇后はこの最中に応神天皇を身籠り、凱旋の後に無事出産した伝えから安産の神としても知られます。
その折、先に発見していた湯ノ本温泉の湯を応神天皇の産湯に使わせたという伝説が残っており、
1500年以上の歴史を誇るわが国でも屈指の古湯です。

私が入湯した平山旅館様のお湯は湯ノ本の中でも旧湯(ふるゆ)と呼ばれていて、
大地のエネルギーに包まれる本当に素晴らしいお湯でした(*'ω'*)。
またここ湯ノ本は子だくさんの家庭も多いことから神功皇后の「子宝の湯」として信じられ、
時の流れと同様に今も静かにこんこんと湧き続けています。


※手水鉢の大シャコ貝
パラオ島産の約160kg超のもので、昭和14年5月に立石孝信氏により寄進されたものだそうです。

※聖母宮の茶壺
天正20(1592)年記銘は唐津焼最古の茶壺で県指定有形文化財とされています。 
郷ノ浦(百二良村)生まれで仏門に帰依した宗鶴(そうかく)によって天正20(1592)年に寄進されたものだそうです。
焼かれた窯は不明だそうですが、作域から古唐津系製品の逸品の一つであり、
器面に彫られた銘文は古唐津研究の上で欠かせない非常に貴重なものです。



参考文献
・Wikipedia 「聖母宮」最終更新 2020/8/22 16:22
・長崎県HP
・平山旅館様HP








(第7話)【呪詛合戦の無い世界へ!日本人という渡来人のお話】ELCAFLORAエルフロMitsukoのトキジク日記








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