その音楽は





本当は何も伝わらない訳ではなかった

嗚咽していたのだ


それを奏でる人は
きつく自分を抱きしめ

涙も流さず
嗚咽と慟哭をくり返しながら

ひとり歩く姿だった


ただ
奏でる人が奏でたいものは

もうすでに・・・

奏でて欲しがっているものと
つながっている事に

本当は気付いているのだろう


その証を
伝えてくれているのだから・・・

嗚咽ではなく
慟哭ではなく

細胞が泡立つほどの荘厳な歓喜



2011年2月




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