呼応の風景(其の二)





絵巻もの、とはいえ江戸時代の比較的新しい三十六歌仙絵巻に珍しい後姿の斎宮女御を見つけました。

あまりに美しいのでつい真似して登場して頂きました。



2010年5月




斎王とは天照大神に仕える巫女として天皇家の未婚の皇女が担う事になっている役職です。

崇神天皇の頃、三輪山の祟りにより疫病が大流行し、これを鎮めるために宮中にお祀りしていた天照大神を外でお祀りしようとしました。
崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)が天照大神のご神体である鏡を祀る場所を何年もかけて探し各地を転々としました。

その役割は後に倭姫(ヤマトヒメ)に引継がれ、最終的に伊勢に辿り着きました。
そして伊勢で天照大神を祀る最初の皇女と位置づけられ、これが制度化されて後の斎宮となっていきました。


斎王に就いた中の一人、斎宮女御こと「徽子女王」(きしじょおう)は和歌と琴の天分に名高く、
特に七弦琴の名手であったといわれる多方面に卓抜した才媛でした。

村上天皇は女御を「大層高貴で優雅な人」と恋しく思い、度々便りを使わしたと記しています。

「斎宮女御徽子女王歌合」や「斎宮女御徽子女王前栽合」を主催したり度々歌合せなどを催すなど、
文雅豊かな村上天皇の時代に華を添える風雅のサロンとして評判を集めた文化人でした。

斎宮女御の姿は高雅な人柄を窺わせて趣深い、深窓の姫君らしい気品漂う姿が華やかな色彩で美しく描かれています。
三十六歌仙の中でも5人しかいない女流歌人の1人でしかも唯一の皇族歌人である斎宮女御は、
後の歌仙絵の中でも際立った存在感を示しています。



参考文献
・Wikipedia「徽子女王」最終更新 2020/10/25 8:38
・Wikipedia「倭姫命」最終更新 2020/6/23 2:36








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