水を成す山





天神山とも呼ばれる耳成山

古への京宮より望めば北の玄武

まさに龍と亀



2006年12月




耳成山(みみなしやま)は奈良県橿原市にある標高139.6mの山です。
天香久山、畝傍山と共に大和三山の一角をなし、三山を結ぶと美しい二等辺三角形を描きます。

とても均整の取れた美しい円錐形をしており、「耳無し」(余分なところがない山)の意とされています。
「耳が無い」ことからか、麓にはかつて「口無しの井戸」「目隠し川」があったとされます。

この一帯は古来から有力氏族の祖神などの神々が鎮まる場所として神聖視されてきました。


「東の青龍」天香久山、「西の白虎」畝傍山、「北の玄武」耳成山。


三山は中国神話の「方位の四神」に見立てられ、それを基準に神々の守護のエネルギーを享受するように条里が設計され、
日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城である「藤原京」が築かれました。

さて、ここで疑問が湧きます。

四神のうち三神は明らかですが、「南の朱雀」は一体どこなのでしょう。
実際、藤原宮から南の正面玄関へのメインストリートとしてしっかりと「朱雀大路」が敷かれ名前は存在しています。


※ ここからは完全な想像と推論になります ※

応神天皇(第15代)が作らせたと言われる「剣池」、現在の石川池が「南の朱雀」ではないかと思うのです。
朱雀が持つ地勢は池や沼・湖であることから、水を湛えた場所であるとまず推測します。

また、大和三山の配置が美しい二等辺三角形を描くように(下述で二等辺三角形をなすように調整された説もあるように)、
この剣池(石川池)と天香久山・畝傍山を結ぶとこれも美しい二等辺三角形を描くのです。

推測の域を出ませんが、実際にその配置を描き、考察し、想像を掻き立てられるのは楽しいですね。





この耳成山、実は天然の山ではなく古代に造営された上円下方墳との説があります。
大和三山の配置が二等辺三角形を成している事は古くより知られており、
しかし古事記や日本書紀において古い時代の記述が無く、
ようやく日本書紀において允恭天皇の時代以降に記述が見られる事が根拠の一つとして挙げられています。

その規模の大きさから全くのゼロから造営された古墳でなく、既存の天然山を改造したという説もあり、
火山と見られるのに噴火口が無い事から噴火口を埋めるなどの造成をし、
その際に大和三山の山頂が二等辺三角形をなすように調整されたとも考えられています。




参考文献
・Wikipedia「耳成山」最終更新 2020/11/21 13:22








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