泣かないで紫苑





ヤマツミの娘がまた咲かせるから

ほら

あの海辺にも


赦されたのか
捥がれたのか

それさえ思い出せないまま

ずっと

咲かせてるから



2012年11月




ヤマツミの娘


「大山津見神」(オオヤマツミノカミ)は数柱の女神を産んでおり、その中の誰とも無く何となく描きました。

女神の父であるオオヤマツミは「大いなる山の神」の意で、日本の山の神の統括的な存在とされます。
別名「和多志大神」(ワタシオオカミ)とも言い、海の神の大神として位階も持ち合わせています。
山と海の両方を統べ、また多くの神々の父と称されるなど非常に大きな存在なのですが、
何故かあまり史記に登場しないという不思議な一面もあります。

この神をお祀りするのは594年創建の大山祇神社、本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」が通る大三島に鎮座しています。


さて、なぜ瀬戸内海に浮かぶ島に山の神を統べる総元締神が祀られたのでしょう。


※ ここからは完全な想像と推論になります ※

古来より、特に大三島のある周辺は瀬戸内海において極めて重要な海上交通の要衝でした。
この海域を征する事が日本を征すると言っても過言では無いぐらいだったと思います。

例えば神武天皇が日向から東征するにあたり、北九州で1年過ごし、さらに広島で7年、吉備で8年過ごすなど、
わざわざ何年も時間をかけて要衝要衝を治めていった等、いかに瀬戸内海が重要であったかという事を示していると思います。

加えて、大陸から渡来し、北九州や瀬戸内の海上に大挙していた安曇や宗像などの海人族を巻き込みながら瀬戸内海を東へと進んだと推測します。

時は進み、渡来してきた人々もゆっくりと日本に浸透していきました。
その中にあって、古代から日本に住んでいた人の深部に宿る、絶える事の無い山岳信仰「山に神宿る」というごく自然で熱い祈りを、
ただ純粋にこの極めて重要な場所に祀ったのではないかと思うのです。
そして海人族のテリトリーの最重要部に山の神が鎮座しているという事は、海の神でもある事に繋がると思うのです。

大山祇神社の一の鳥居「日本総鎮守」の額にもあるように、大小の神社で祀られているだけでなく小さな祠や石に祀られていることもあり、
全国のあらゆるところに祀られている代表的な産土神だと言えます。


また、大山津見神の娘の一人である「木花咲耶比売」(コノハナノサクヤヒメ)が海幸・山幸を産んだという神話にも遡っていくと、
結局は海の信仰も山の信仰も、源流を辿っていくと習合していくのかなと感じ、上述の推論と何となく像が重なったりするなぁ・・・と、
勝手に感じ、浸っております。。。







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