紫微宮





その昔、我は紫微宮の王であると権勢を誇った人がいたことを思い出した。



2018年7月




古代中国では北極星は「北辰」(ほくしん)と呼ばれていました。
「紫微宮」(しびきゅう)とは、古代中国天文学におけるこの北辰を中心とした広い天区を呼びます。

北辰は夜空の全ての星がこの星を軸として廻っている事から、最高位の星として神格化され崇められてきました。
その「北辰信仰」において北辰を中心とした紫微宮は天帝太一神「北極紫微大帝」(ほっきょくしびたいてい)の住まいとされています。
天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなりました。

漢の時代に長安城郊に初めて太一祠が祀られ北辰と地球との間に天と地を繋ぐ太一という軸を通し、
太一神の祭祀が行われ、人は自ずから柱となりその軸を通して天と地を繋いだのです。



参考文献
・Wikipedia 「紫微垣」最終更新 2017/7/17 2:07
・Wikipedia 「北極紫微大帝」最終更新 2019/10/31 10:32
・Wikipedia 「北極星」最終更新 2020/12/10 0:16








HOME