西王母





又、面白い偶然が起きた。

この国に弥生文化の波が押し寄せた時代をイメージした絵を仕上げた今日、弥生遺跡の音を聴き取り表現するアーティストに出会う。



彼はなんと綾羅木遺跡出土の土笛を吹いて見せてくれた・・・



麦晩田遺跡で弥生の音の降るのを聴いたらしい・・・



至福の時間はいつも前ぶれもなく訪れる。



結界なきクニに幾重にも打ち寄せる波のごとく飛来した鉄と水稲を伴ったモノは龍としてこのクニの蛇を飲み込んだ。

ただ、龍は玉を掴むが、蛇はその玉を飲む。

裏側に息ずく縄文の力は確かに未だ衰えてはいない。



2009年5月




西王母(せいおうぼ)は中国で古くから信仰された女仙で、西方にある崑崙山上の天界を統べる最上位の女神とされています。
初期の頃の描写は「人の姿で豹の尾、下半身が虎体、よく唸り、長髪で頭に宝玉の飾を戴く、彼女は天の勵」という半人半神の姿でした。
三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるといい、大鶩、小鶩、青鳥と言います。

その後徐々に変容していき人間の姿で描かれるようになります。

漢代になると西王母は神仙思想と結びつき、両性具有から男性的な要素が分離した男神の東王父の二人として語られるようになりました。
例えば京都府木津川市の椿井大塚山古墳から出土した三角縁獣文帯四神四獣鏡にこの二神の姿が象られています。


前漢の武帝が長生を願っていた際、「不老不死の力を与える神女」のイメージと化していた西王母が天上から降り、
三千年に一度咲くという「仙桃七顆」を与えたといいます。

この頃の西王母の描写はかつての人頭獣身の女神から「天界の美しき最高仙女」へと完全に変化し、
東王父と並んで陽気と陰気の神格化と考えられるようになりました。
そして不老不死の仙桃を管理し、無数の珍しい宝物を持ち、艶やかにして麗しい天界一の女主人として絶大な信仰を集め、
黄金の光輝く華美な衣装を纏い、頭には太華髻と太真晨嬰の冠をつけ、腰には分景の剣を備えた30歳位の絶世の美女として描かれています。



別名はウケステメ。

西の崑崙山から東の蓬莱へやってきた西王母の物語。

頭に糸巻きを飾り鉄器を握りしめ。

好物はおそらく桃でしょうね。



そうそう、王母へ生贄を運ぶ役目だった青鳥も「西王母が宴を開くときに出す使い鳥」という役どころに姿を変え、
「青鳥」と言えば「知らせ」「手紙」という意味に用いられる程になったようです。



「嫦娥奔月」(じょうがほんげつ-中国の神話伝説の一つ)

元は仙女だった嫦娥が地上に下りた際に不死でなくなったため、夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲みました。
そして月に逃げ蟾蜍(せんじょ-ヒキガエル)になったとの伝説が、古代中国では月には蟾蜍が棲んでいるとされていた由来です。
后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために、月に向かって供え物をしたのが月見の由来だとも伝えています。

月の影の模様が兎に見えることから「月には兎がいる」という伝承はアジア各地で古くから言い伝えられている中で、
兎の横に見える影は臼だともされ、中国では不老不死の薬の材料を手杵で打って粉にしているとされ、
日本では餅をついている姿として伝えられています。



参考文献
・Wikipedia 「西王母」最終更新 2020/5/10 6:55
・Wikipedia 「嫦娥」最終更新 2020/11/30 12:11
・Wikipedia 「月の兎」最終更新 2020/9/15 12:52




(第16話)【西王母とニニギノ命は仲良し】ELCAFLORAエルフロMitsukoのトキジク日記








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