起つ天なる山





ここの埴の呪力とはつまるところなんだったのか。

むかし、イ と呼ばれたクニに今もある天の山からヤマトに降ったらしいカグヤマ。

企てたのはいったい誰だ。。



2010年6月




思いっきりハレの日の空と、真横から見える香具山をイメージして描きました。

描いてたら勝手に山が立っちゃったので、まぁこれはこれでいいか・・・



天香久山(あまのかぐやま)は奈良県橿原市にある標高152.4mの山です。
耳成山、畝傍山と共に大和三山の一角をなし、三山を結ぶと美しい二等辺三角形を描きます。

藤原京の東にあることから太陽信仰の地だったとされ、「天」という尊称が付くほど三山のうち古代から最も神聖視されてきました。
古来万葉集などで多く詠まれてきた山として知られ、万葉集には単独で9首詠まれており、全体で13首にも及びます。

この一帯は古来から有力氏族の祖神などの神々が鎮まる場所として神聖視されてきました。


「東の青龍」天香久山、「西の白虎」畝傍山、「北の玄武」耳成山。


三山は中国神話の「方位の四神」に見立てられ、それを基準に神々の守護のエネルギーを享受するように条里が設計され、
日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城である「藤原京」が築かれました。

さて、ここで疑問が湧きます。

四神のうち三神は明らかですが、「南の朱雀」は一体どこなのでしょう。
実際、藤原宮から南の正面玄関へのメインストリートとしてしっかりと「朱雀大路」が敷かれ名前は存在しています。


※ ここからは完全な想像と推論になります ※

応神天皇(第15代)が作らせたと言われる「剣池」、現在の石川池が「南の朱雀」ではないかと思うのです。
朱雀が持つ地勢は池や沼・湖であることから、水を湛えた場所であるとまず推測します。

また、大和三山の配置が美しい二等辺三角形を描くように(下述で二等辺三角形をなすように調整された説もあるように)、
この剣池(石川池)と天香久山・畝傍山を結ぶとこれも美しい二等辺三角形を描くのです。

推測の域を出ませんが、実際にその配置を描き、考察し、想像を掻き立てられるのは楽しいですね。





古来より天香久山と畝傍山の土には非常に強い呪力が秘められているとされてきました。

例えば、一度は長髄彦(ナガスネヒコ)に向かい打たれ大和入りする事ができなかった神武天皇が、
別ルートで熊野から大和入りするに当たり、天香具山の埴土で聖なる土器「天平瓮」(あまのひらか)・「天厳瓮」(あまのいつへ)を作りました。
その土器を用いて天神地祇に祈りを捧げたことで、倭入りを阻止しようとした人々に勝利し、天皇に即位できました。

また崇神天皇の頃、武埴安彦命(タケハニヤスヒコノミコト)と吾田媛(アタヒメ)の二人が大和王権に反旗を翻そうと企てました。
その時に吾田媛が天香久山の埴土を呪詛に利用するため密かに隠し持ち去りました。
この事が「百襲姫」(モモソヒメ) に見抜かれ、崇神天皇に「必ずや何かを企んでいるはず」と進言されました。
百襲姫の神託は絶対であったため、崇神天皇はこの二人を討伐するため将軍を差し向け討伐しました。
このように、天香具山の土を持ち出すなど言語道断な行為だったのです。

住吉大社は今でも畝傍山の土を用いて祭祀を行うなど、神事に用いる陶土の採集場所として知られます。




参考文献
・Wikipedia「天香久山」最終更新 2020/11/21 13:20








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